Alexis’s Diary

23歳の備忘録

伝えたいこと。

 

 

電話だと感情的になってしまい上手く伝えきれないと思ったので、このような形ですが、此処にこうして私の気持ちを認めます。

最後まで読んで頂けると幸いです。

 

 

 

 

 

カレッジの授業も今週で終わりを迎えようとしています。

ESLの方はもうすでに終わっているのでカレッジのクラスだけですが、15時からなので時間が有り余っている状況です。

 

とてもうれしいことなのですが、時間がある=いろいろ考える時間も増える、という意味に捉えてしまいます。

 

 

 

 

前から考えていたけれど、どの道が最善なのかわからなくなってしまった。

人間一人では生きていけないから、両親というものは自分にとって一種のライフラインのようなもの。

二人の喜んでいる顔を見ると私もうれしくなる。周りの人に”自分の娘は海外の大学に行っている”ということを言っている話を聞くと、少しばかり緊張するけど、それでもそれを聞く私はうれしい。

 

 

自分の好きなことを何一つ文句も言わずさせてくれた両親に感謝の気持ちはいやというほどある。感謝してもしきれないほどある。

なのでその期待に応えようと頑張ってきた。

 

「英語が好き」

「海外が好き」

「海外の大学もいいかも」

行ってみたら?

 

私の「好き」を尊重してくれていた二人には私としても親孝行をしたい。

 

高校時代にはバイトができなかったのでせめてもの成績だけは良い成績をと思い、トントン拍子ではないけれど、最終的には上の方にまで上がることができた。

成績を見て喜んでいるのを見ると頑張ってよかったなと思う時もあった。

身を粉にして働いてくれているおとうを見ると、頑張れる糧になっていました。

 

決して裕福な家庭ではないけれど、ここまで育ててくれて、

「特別なことはしなくていいから、あんたはただ勉強して大学卒業してくれればいいから」

 

いつもこう言っている。

 

わかっている。

それは十二分にわかっている。

 

 

 

けれど今思ってる気持ちを両親に告げたときに、どんな顔をするだろう。

悲しむかな。

怒るかな。

失望させてしまうかな。

呆れさせてしまうかな。

また苦労かけてしまうかな。

 

そんな不安という名の恐怖が消えない。

消えない故に告げることもできない。

 

このまま自分の気持ちを押し殺して生活していくのか。それとも小さな嘘をついて自分が生きたい生活をするのか。

 

あと三か月がんばったら帰れるのかな。そんな気持ちをずっと持ち続けてこんな年数になってしまった。

誰が悪いというわけでもない。自分の不甲斐ない成績でこのような結果になってしまったことも十分承知している。

 

 

でももう疲れてしまいました。

私の心の中で不安と自分自身の気持ちが入り混じって、今にも壊れてしまいそうなくらい限界な状況。

 

大きな休みがほしい。

日本に帰りたい。

本屋さんの店員さんになりたい。

本に携わる仕事がしたい。

 

 

 

こうやって自分じゃ決断できないから、一層のこと「お前は向いてない」と言われるほうが気持ちがラクなのかもしれない。

 

その一言が欲しいのかもしれない。

 

でも聞こえてくるのは「頑張って」。

 

期待してくれているのはうれしい、頑張っての言葉も嬉しいけど、その「頑張って」の言葉の海に溺れそうなくらい一杯一杯の毎日で。

そんな中でもクラスだけはきちんと行くという自分自身のポリシーは守り、無遅刻無欠席で今までのクラスを終えてきました。

 

 

病は気からというように、弱くいたらすべてがダメになる、ダメに感じてしまう。

こう自分の心に言い聞かせていました。しかし「頑張らなければいけない」という強迫観念じみたものがあり、二人の気持ちを踏みにじるようなことを言ってはいけないのだと思うようになっていました。

 

 

 

 

つらつら思っていることを並べて、まともにまだ社会に出たこともないのに、私よりももっと苦労をしていて、いろいろな経験をしている二人にとって、これはただの甘えと思われるかもしれない。まだ頑張れてないと思われるかもしれない。逃げていると言われるかもしれない。根性が足りないと言われるかもしれない。

 

けれど、私は二人のようにまだ強くはない。

 

 

強くないから帰るのか、と言われたらそうじゃない。

英語を決して諦めるわけじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、私の心に休みをください。