尊敬する人は「尊敬する人」で終わる説。
こんにちは。
Alexisです。
この前、福岡市図書館に行こうとして休館日と書かれた張り紙を目にして、そのまま天神に引き返したという今週の月曜日から早いことでもう金曜日です(´・ω・`)
そんなプチハプニングがある中、尊敬する人と好きな人はやはり違うものだなと実感した事があった。
尊敬する人ももちろん好きだが、それ以前に私なんかと関わってくれるなんて恐れ多い、的な感じになる。
この人のようになりたい
と
この人と一緒になりたい
は違うんだな、と。
目標にする人もしくは憧れ、尊敬する人を恋愛対象としてみるのにはかなり厳しいと思った。
この人のようになりたい。って思って偶然にもその人と関わることはできる環境にあって、その人からいろいろなことを学んで、ふとした時に、「あれ、私この人と対等に話してる?」と感じることが多々出てくるかもしれない。
でも、それは一時的なものであって、やはり尊敬する人憧れの人と話しているもしくは、その人とその周りの人との会話を鑑みた時に、自分に対する劣等感や疎外感、まだまだなんだな。この人と対等にはなっていないんだな、という自分が今置かれている立場を再確認することになる。
対等ではない。これは紛れもない事実なんだな、と。
自分が尊敬する人と同じ環境にいることで、少し浮かれていたのかもしれない。
最初からこの人の関わっている分野では対等に話せないと感じ、それならば他の分野で対等になるように頑張ろうとしてきた。
でもその人の一部分しか見ていなかったために、他の分野でも対等にいけると勘違いしてしまった部分も多少はある。
心のどこかでこの人と住む世界は違うのかなって思う瞬間もある。
こんなに遠かったっけ?
こんなに手が届かない人だったっけ?
こんなに住む世界、見てる世界が違う人だったっけ?
人の価値観、思っていること等は他人には理解できないことの方が多い。
それはもちろん分かっている。
分かっているけど、こう、、、、、なんというか、、私の存在を蔑ろにして欲しくないという我儘な気持ちもあり、尊敬する人、憧れの人がいることで自分の能力の低下を防ぐための予防にしているのかもしれない。
とふと思った木曜日夜。
そんなこんなで今日も今日とて英検の勉強をしつつ自分の中の邪念を取り除くべくしてここにこうして書き連ねています(´・ω・`)
では、また。
see you!