思い出。過去を見てもいいよね篇3
おはようございます。
Alexisです。
思い出篇を書いていなかったので書こうかな('ω')
※自分の自己満の(日記のような)思い出の記事ですので「こんな長げぇやつぁよめねぇよ」って方は飛ばしても全然Okです(´・ω・`)
えっと、9月12日は、多分必要なものの最終確認と補充。
買い物行ったり、、、、!!!!!
んで、この日は確か、ホストファミリーのお土産を買いにキャナルシティに行った日だ。福岡県民なら知る人ぞ知るキャナルシティ。
(あ、福岡の良いところについての「ここがオススメ!」的なやつ書こうかな笑)
キャナルと天神に母親と昼前から昼すぎぐらいに着いた。
電車で天神まで行って、そこからキャナルまでバス。
バスにはまあ、人も結構いたけど平日だったからそんな激込みってわけじゃなかった。2つシートも空いてたし、バスの中間付近の席に2人で座った。
だいたいバスで10分から15分ぐらいでキャナルに着く。
バスに揺られること約10分弱。
なんか、気持ち悪い、、、。
ご飯も朝家出る時しか食べてないし、変なものとかも食べてないし、、、。
いろいろ考えてたらもっと気持ち悪くなってきて、もう限界かもって思った時に「ね、ちょ、気持ち悪い。。。降りる」
隣にいた母親に言って、キャナルの地殻のバス停の一個前のバス停で降りた。
偶然にもバス停の目の前にはコンビニがあり、そこのトイレへ一目散に駆け込んだ。
吐いた。
朝食べたものがほとんど出た。
吐いたら結構スッキリした。気持ちを整えて、トイレから出た。
母親が「なんか栄養ドリンク飲みな」といって棚にならんでる栄養ドリンクを買って飲ませてくれた。
その日はぽつぽつ雨が降っててコンビニの外の禁煙所で飲んだ。
だいぶ楽になった。
深呼吸して、キャナルに向かった。バスに乗るより歩いたほうが早いので傘をさしながら向かった。
歩いてる途中は吐き気とかはなかった。
キャナルについて、上にお土産屋さんとかが入っているから上に行こうとして、また気持ち悪くなった。
近くのトイレに駆け込んで、また吐いた。
先ほど飲んだ栄養ドリンクと胃酸。
胃にはもう何も入ってない状態だった。
母親のところに戻ると、帰る?と言われた。
正直帰りたくはなかった。なぜなら、この日を逃すともうこうやって母親と遠出が出来ないと思ったから。母親は体調面を考慮して言ってくれたけど、私はもちろん「帰らん」と言った。
まさかまた吐くとは思ってもみなかったので、手元に薬がなく、ドラッグストアで胃薬を買った。薬系も買うつもりだったのでそこで胃薬やらを2箱買った。
少し休んで、何か食べたほうがいいと言われて、近くのスタバに入った。
この時はまだ大丈夫だった。
母親の分と自分の分の飲み物と大好きなスコーンを買って食べた。
万全ではなかったが少しづつ食べることができた。
食べ終わり、買った胃薬を飲んだ。
スッキリとは言えなかったけど、まあ楽になった。
少ししてスタバを出て、他のお土産屋さんに行った。
日本っぽいものや、かわいいもの、アメリカでも人気のキャラクターがデザインされた小物。
いろいろ見て回ってるうちに、また気持ち悪くなってきた。
最初は抑えてたけど徐々に耐え切れなくなって、トイレへ駈け込んだ。
また吐いた。3度目だった。
今度はスコーンと胃薬。飲み物。さっき食べたものがそのまま出た。
ある程度出し切って、もう出すものがない。
うがいをして、深呼吸をして、トイレの外へ出た。
軽く飲み物を飲んで、座って休憩をして、お店に戻った。
それからはもう吐き気や気持ち悪さもなく、落ち着いてきていた。
無事お土産も決まり、体調も戻ってきて、普段と変わらない自分になった。
バスで天神まで戻り、電車の時間を決めてそれまでカフェで休憩をしていた。
電車に乗っても気持ち悪さはなく、普通に乗れた。
最寄り駅で降りて、父親が迎えに来ていた。
車に乗り、家へ向かった。その間も吐き気などはなかった。
と、まあ、なぞの3度吐くという人生の中でもびっくりした日でしたね笑
だぶん渡米する日が近づいて、その緊張やらで吐いてしまったんでしょう(´・ω・`)
大変でした笑
13日は家でゴロゴロだったと思われ。
前の日に吐いてたし、家でゆっくりした。
14日は親友と福岡の東区であっているお祭り、放生会(ほうじょうや)に行ってきた。
親友のバイトが終わり、天神で待ち合わせをしてそこからバスでお祭りへ向かった。
楽しかった笑
高校生の時は補習がある時間帯や日時がもろかぶりしてたので行けなかった。
生まれて初めての福岡市内のお祭り。嬉しかったけど、ちょっと寂しかった。
だってこのお祭りにまた行けるようになるには2,3後だもの。
また来年ねって言えない寂しさ。
一秒一秒を噛みしめて、チョコバナナ食べたり、焼きそば食べたりしてた。
満喫した後、天神に戻り、カフェで話しながら1か月前から作っていたアルバムを手紙と一緒に親友に渡した。
喜んでくれた。よかった笑
こうやってカフェで何気ない話をするのももう長らくできないんだと思うと寂しくて。たくさん写真を撮った。
これが「友達」と写真を撮れる最後の機会だった。
結構遅くまで話してて、帰る時間となった。
親友はバス。私は電車。帰る方向も真逆。
駅まで一緒に歩きながら、「このままずっと話せたらな、、。」って思いしみじみしてら駅に着いた。
でも、いつもみたいにバイバイって言えなかった。
つぎ会えるのは2,3年後だから。
「頑張ってね」とか「連絡必須な笑」とか、「やっぱ泣けねぇわwww」「いや、泣けよwww」とか最後まで相変わらずの2人だった。
その場でおそらく10分から20分ぐらいは立って話してた。
「じゃあ、、、、、ね。笑」
電車の時間も近づいてきたし、ホントにバイバイしなきゃ。
お互い笑顔だった。
見えなくなるまで手を振ってた。
待っていた電車に乗って、深呼吸。
「ああ、これでホントに最後なんだ」ボソッとつぶやいた。
電車が走りだして、遠ざかっていく駅。
いつも使っていた駅。
いつも待ち合わせをしていた駅。
いつも自転車に乗ってここのお店から右に曲がって好きな人のところに通ってた道しるべになってた道。
暗くなってからも自転車で爆走してた道。
高校の近くの駅。
電車の窓から見える高校。
いつも授業の時使ってて、クラスメイトみんなでギャーギャー騒いでた高校のグラウンド。
ちょっと思い出のある道。
高校卒業して好きな人が駅まで送り迎えしてくれた駅。
文化祭の時クラス全員で打ち上げをした焼き肉屋。
走馬灯のように今までの思い出が頭の中に出てきた。
お祭りに行く前、待ち合わせをする前に、今までお世話になった人たちに宛てた手紙をポストに入れた。
郵便ポストに入れたり直接家のポストに入れたり笑
ありがとうの気持ちをせめてもの、手紙で伝えたかった。
上手いことは書けなかったけど、あまり長くなると、ね笑
多分最初で最後のきちんとした手紙に書いた精一杯の感謝だと思う。
電車に揺られながら、思い出に浸っていると、好きな人が私のSNSを見たようで「手紙もらってない!」と連絡が来た。
そういうだろうと思って、先にポストに入れておいたよと伝えると、「え!みてくる!」と。
そして、こちらこそありがとうと綴られた感謝の文が長文で来た。
文字を打つのが得意じゃないのにこんな長文を送ってくれた事にすごく驚いたし、嬉しかった。
ああ、手紙入れといてよかったな、って笑
そうしているうちに最寄り駅についた。
いつものところに両親が迎えに来ていた。
楽しかった旨を伝えると、よかったね、と言われた。
ホント、よかった。
晩御飯の買い物して、家に帰って、テレビを見ながら食べて、いつも通りに寝た。
15日
最後の日。
この日は飛行機の時間もあり、朝方に家を出る予定だったのでスーツケースもすでに車に詰め込み、必要最低限なもので生活した。
朝早く起きるので早めに寝た。
でも、寝れなかった。そりゃそうだ。
16日
ようやく寝て、朝方4,5時に起きて準備をし、最終確認をして、犬たちにバイバイを言って、車に乗った。
周りはまだ薄暗かった。
市内に向かうにつれて明るくなる。
車も増えてきて、ちらほら学生の姿も見える。
いよいよ空港の近くまで来た。
友達はまだ起きてないが、一応連絡はしといた。
空港の駐車場に入り、スーツケースを出す。
2つ。重い。
手荷物のリュックも重い(笑)
何もかも重いw
どきどきとワクワクが入り混じって、その時は上手く笑えてなかった気がする。
高まる鼓動に近づく搭乗時間。
スーツケースはフロントに預け、手荷物だけになった。
受付が終わり、反対側で待ってた両親と最後の朝食を食べた。
最後の朝食なのに、日本食でもなくまさかの食パンにコーヒーというザ・アメリカンな朝食だった。さすがだと笑いあった。
搭乗時間の1,2時間前になってゲートの向こうに行った。
手荷物検査をし、ここから本当に一人の空間に足を踏みいれた。
今でもゲート前での両親の顔は忘れられない。
初めての一人で乗る飛行機。
なにも分からない状態で不安ばかりだったが、今の時代はSNSがあるのでだいぶ楽になった笑
Twitterを見たり、友達と連絡を取ったり。
それでもドキドキ感は拭えなかった。
その時はもちろん友達会いたい寂しさとかはまだ感じていなかった。
でも、まずは飛行機に乗るワクワク感の方が勝っていたような気もする。
いや、めっちゃ長いやん、、、笑
16日の続きを次で書こうかな。
思い出を書くとつい長くなる笑
では、また。
see you!